日々の業務の中で、様々なクライアント様にお会いします。このようなカウンセリングを受けられるのは、受けられる方もそれ相当の理由をもたれているからですが、中には文章にするのはおこがましく、あまりにも激しい、ものすごい人生を「抜けてきた」方もいらっしゃいます。それでも、その方の人生のストーリー(今生での使命とリンクする意識の進化のために体験するべきこと)からしてみれば、まだまだ、という段階で、「なぜ、このような体験をするのか」をより深く知りたくてカウンセリングを受けにいらっしゃいます。

そのような方々は、そのような人生を乗り越えてきたゆえに、必然的に人間力が半端ではありません。人生の実践の中で、「体験したからこそ」の本当の生きる力をもたれています。存在だけで、説得力が違うのです。それだけに、カウンセラーとしてのこちらの心構えも、さらに身が引き締まり、その方にカウンセリングをさせていただいている、学ばせていただいている、そのような実感にいたります。

そういった人生を乗り越えて、魂の旅路の段階を一歩いっぽ超越された様を、「抜けた」「抜けている」とよく表現することがあります。この「抜ける」という言葉を、英語にするとescape(エスケープ)とgoogleででましたが、その回避するという意味ではなく、しっかりとその体験を味わってbreak through(ブレークスルー)した、そのような意味で使っています。前の段階を抜けて(卒業して)つぎの段階へステップアップする、その「抜けた」です。

 

「抜けた」方は、それらの痛烈な体験を、嫌なもの、回避するべきものと捉えず、その時は「やむをえず」でも、後から考えると成長のために必要だった、と実感から考え捉えられ、その体験さえも現在では「そんなこともあったねえ」と、「さらっと」捉えている・・・そのような感じです。見事に手放されています。同じような体験をしていても、その解釈によって、被害者意識になってしまったり、他者依存や責任転嫁になってしまったりすると、本来得るべき学びが遠のき、その体験を生かせません。でも、ある人生のストーリー展開のなかでは、その段階では「あえて」そうした結果、いつかそこに気づくことがテーマかもしれません。みな、唯一無二のご自身のストーリーをそれぞれもっていて、テーマも様々なのですから、比較して優劣をはかるのはナンセンスです。

 

そう考えると、人生は、自分で設定してきた人生のストーリーの中で、各エピソードを自分なりに「抜けて」「抜けて」「抜けきって」というプロセスとその先にある「大いなる気づき」を得るためにあるのかもしれません。

私たち一人ひとりが、そのために、それぞれの人生ストーリーを繰り広げています。

だから、いいも悪いもなく、ストーリー展開ですから、どれも必要な要素。

それが必要なものなら、その時排除しようとして回避しても、また形を変えてその体験(すべき要素)がやってくる・・・。

最初から何も起こらない、もしくは、最初から完結している映画や小説なんて、誰も観ない、読まないですよね。完結しているなら、そもそも成立しないです。プロセスがないですから。

だから「あえて」それを「(本当のところは)自分で」体験しようとしている、【人間ってすごい】です。

これを読まれている方も、そうでない方も、みんな、人間ですので、みんな、すごいです。(人間以外の存在も全てすごいのですが、あえて・・・)

全ての方々に学ばせていただいております。

全て私のストーリー展開の大事な一部。

とても、ありがたいです。

 

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